進む方向がわからなくなった時のトリセツ

 

【今も10年後も鏡に映る自分を好きでいたい】

 

この言葉の背景にあったものは

 

今の自分が嫌だ

将来が不安

今がこんなんだったら

この先もっとダメになる・・・・・

という悲痛な心の叫び。

 

25歳の時、職場のトイレの鏡に映る自分を見て

激しく落ち込んで心の中で叫んでました。

 

肌の色はどす黒くて

目に力が無くて涙を浮かばせ

顔全体赤くて、乾燥して笑うと痛かった。

 

接客業なのに笑えない・・・

そんな自分が嫌いだった。

 

20代でこんなに劣ってたら

30になったらもう女として終わってしまう。

怖い。いつまでこんな生活をしていくのだろう

と悶々する日々。

 

この時の私は

自分はダメな子という前提のもと生きていました。

 

でも周囲にはバレたくなくて

必死に隠しながら生きてました。

 

だから演じてました。

もろい自分を頑丈な鎧で隠していたのです。

 

でもね、不思議なことに

 

鎧で自分を隠せば隠すほど

体はどんどん弱くなっていった

 

 

今思うのですが

本来の自分と社会に見せる自分とに

かなりのギャップがあったんだと思います。

 

ギャップがあってもいいんです

 

人にはそれぞれ役割があるし

いろんな人と関わる中で役割も変わるでしょ??

 

ただ大事なのは

 

本来の自分自身に戻ることだと思うんです

 

 

それが調和をもつこと、バランスですね

 

 

 

 

私はその時間を持ていなかった。

 

 

鎧を脱ぐと弱い自分を見る気がして

 

それがとっても嫌だったから

受け入れたくなかったから

きつくても

休みたくてもその声にこたえることもなく

むしろ押さえつけるかのように

やる気を起こさせて働いた過去があります。

前にも書きましたが

病気は自分がつくりあげたものです

 

 

yumi-homecooking.hatenablog.com

 

それがちょっと前まで

トラウマになってました。

 

頑張りたくても

また前みたいになるんじゃないかって

ブレーキがかかってたんです。

 

だからここ3年間は自分自身を安心させる為にも

自分の体と相談しながら

気持ちと体のリズムを合わせてきました。

 

どんな時が頑張り時なのか

どんな時に力を抜けばいいのか

 

これがわかってきたからこそ

今の自分なら大丈夫だって思えてきたんです!

 

最初は心地よさとか好きとかわからなかったし

ホントに地味な訓練というか

回り道をしているように感じることもありました

 

だけど

自分という存在を

 

長い間放置していたので

 

時間はかかって当たり前と割り切り

 

じっくり時間をかけて自分と向き合って

見つければいいと思ったんです。

 

その間がつまらない時間だったかというと

全然そんなことありません

 

その間には

 

・自分の事業を立ち上げた

・相棒のような彼ができた(約5年ぶり!!)

・尊敬する恩師や仲間に巡り会えた

 

などなど見える変化もありましたよ(^^♪

 

今言えることは

自分のもともとある気質

(私の場合は気が弱い、疲れやすい、気にしすぎる、

不器用でどんくさい)

 

どんな自分も自分なんだ!

 

変えなくていい!!!

 

 

成長を感じられなくても、

それはそれでいい!!

時には

 

成長することを

お休みすることを自分に許可しました。

 

欠点ではなく個性

 

だから直しようがない!!

 

その分周りに助けてもらう勇気を持ちました

 

今までとは違う考え方をもって

頑張りましたよ

 

鎧を脱いで、どんな自分もさらけ出す勇気を持てば

安心して前に進んでいけますよ(^^)/

 

そこにあるのは

揺るぎない自分自身との信頼関係ですから

 

おしまい